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イエス・キリストと愉快な仲間たち

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牧師の書斎より


2024.1  新年おめでとうございます
 イエス・キリストの十字架の死は、私たちの罪のための身代わりで、「この方以外には、だれによっても救いはありません」(使途の働き4:12)このキリストの十字架を信じる信仰の中心は、愛です。(ガラテヤ人への手紙5:6)
 健全な信仰とは、愛がどれだけ他の人に向けられているかどうかです。愛の心は、他の人に対して関心を持つことから始まります。愛は、命令されて実践するものではありません。まず心が変えられ、愛の心が与えられることから始まります。
 他の人との間に、隔ての壁(エペソ人への手紙2:14) や偏見はないでしょうか。ちょっとしたことで人間関係が壊れたり、相手の言葉が心の傷になることがあります。心の傷はキリストの恵みによって変えられましょう。もう一度イエス・キリストの大きな愛を認め、さらにその愛を聖霊によって育てていただき、この一年はより多くの人と交わる人に変えていただきましょう。

2023.4 イースターおめでとうございます
 イエス様が、十字架の上で一度死なれ、よみがえられたことによって、死は滅ぼされ、代わりに永遠の命が与えられました。これにより、この世での恵みと祝福に加えて、死んだ後の永遠の命をも、保証されているのです。
 ですから聖書では、キリスト者の死を「眠る」と表現しています。キリスト者にとって、死というものは存在しないからです。この世での人生が終わった後、私たちは天国で永遠に生きるのです。ハレルヤ!
 「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたはこのことを信じますか。」(ヨハネによる福音書11:25~26)


2023.1 あけましておめでとうございます
 2023年も神様の祝福が豊かにありますように、お祈りいたします。
 
「御霊(みたま)の思いは、いのちと平安です」

(ローマ人への手紙8:6)

 私たちには、御霊の思いがあるのです。ですから私たちは、神様との交わりにあずかっている者として、祈りを大事にしています。私たちは、祈りを通して成長するのです。祈りを通して、神様と交わり、神様のみこころに従えるわけです。聖い神様との交わりの中で、聖くしていただけることは、大きな特権です。
 祈りを通して、神様と交わり、神様のみこころをさらによく知ることができ、2023年もますますイエス様に似た者とさせていただこうではありませんか。


2022.4 キリストは心の中に
 今年のイースターは、3月21日以後の最初の満月の後にくる第一日曜日となり、4月17日となります。さて、あなたにとってキリストとはどのようなお方でしょうか。偉大な宗教家、博愛主義者としてイエス様をとらえている方もたくさんいます。しかし聖書には、イエス・キリストは十字架にかかられ、死んだのち、墓にほうむられ、三日目によみがえり、天に帰られたと記されています。
 大切なポイントは、イエス様が復活されたかどうかということです。ここでイエス様が人であったか神であったかが、はっきりされるところです。復活の事実について、聖書は個人的体験ができると記しています。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」
(ガラテヤ人への手紙2:20)


2022.1 新年のご挨拶を申し上げます
 コロナ感染も低下し、愛する皆さんの歩みはどうでしょうか。皆さんのために祈り続けています。
 さて、今年のみことばは
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」(詩篇119:105)です。
 神のことばは、間違った決断や選択によって、私たちが悲しみや落とし穴や悲劇に遭わないように助けてくれる霊的な原則が含まれています。
 したがって、みことばの知恵を大切にして、生活のあらゆる面に当てはめなければなりません。そうすれば間違いなく、正しい方向へ進むことができます。
 今年もみたまに満たされながら、私たちは大いに喜びの声を上げようではありませんか。


2021.12 MERRY CHRISTMAS☆彡
「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそキリストです」(ルカによる福音書2:11)
 神様は羊飼いたちを選ばれ「救い主がお生まれになった」と告知をなさいました。
 羊飼いたちは、自分の目で確かめるためにベツレヘムに出向きました。キリストにお会いした後は、自分たちが見聞きしたことを知らせたのです。そればかりでなく、自分たちが見聞きしたことが、すべてみ使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰っていきました。
 羊飼いたちは、キリストにお会いすることによって、変わったのです。心の内が、礼拝の思いで満たされたのです。
 キリストを見出すとき、今日でも同じように、自分が変わる経験をすることができます。自分たちの古い生き方に、新しい次元が加えられるのです。それは、キリストとの出会いは、私たちの目に新しい光を、人生の歩みに新たなジャンプをもたらすことになるのです。


 2021.4 納骨式・記念会メッセージ
天に国籍を持つ者の恵みは何でしょうか。国籍をもつということは、一つの新しい規則のもとに生きることを意味しています。海外に旅行するときに必ず持つべきパスポートの中には、日本国外務省によって、このパスポートの持ち主が安全に旅行ができるようにとの要請が印刷されてあります。日本人は日本の国の法律の規制を受けますが、同時に国の保護をも与えられるのです。
 イエス・キリストにあるとき、私たちは天国の国籍を与えられたと考えてよいのです。天国について聖書は次のように描写しています。

「神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである」 (ヨハネの黙示録21:3-4)
 イエス・キリストにある者が、どのような状況の中でも平然としていられる秘密がここにあるのです。


 2021.4「死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。」

(コリント人への手紙第二5:4)

> 主イエスの復活は、福音の中心的な真理です。復活がなければ、私たちには何の希望もなく、父なる神を信じる信仰もキリストについてする証しも無意味です。
 主イエスの復活は、私たちに聖霊の賜物を与え、霊的いのちを新しくしてくださることの土台であり、私たちのために天で とりなし手として働いてくださることの土台であり、主の再臨と罪に打ち勝つ力が日常生活の中に働くことを可能にするのです。



 2021.1 「人生の優先順位」
 イエスの御名によって、新年のごあいさつを申しあげます。
 この一年、何が一番大事なのかをよく考えてみましょう。
 人生は多忙をきわめているものです。特に働き盛りの人々は、自分で何をして一日を過ごしたのか忘れてしまうほどのものです。
 コロナ禍においての人々は、コンビニで済ます昼食、帰宅して淋しく食べる夕食など、人生の楽しみとしての食事の風景は、なくなってしまっているのです。
 一事が万事この調子ですから、忙しいことはわかっていても、ただそれだけのことであって、精神的なこと、教養的なことにまで、とても手が回らないのが実情でしょう。
 それは、人生において優先順位をつけることを忘れているからです。豊かな人生のためには、まず信仰を求めることを第一にして、心に平安と豊かさを持つように、聖書(マタイの福音書6:33)は勧めています。
 しっかりと神を信じ、自分を信じ、神の助けを期待することから、すべてを始めていきましょう。この心の確かさが、人生をあらゆる危険から守るのです。
 神の祝福があなたにありますように。



 2020.4「死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。」

(コリント人への手紙第二5:4)

 死、それは絶望を意味しますが、その絶望でさえのみこんでしまう いのちがあることを知ると、力がわいてきます。
 イエス様の信仰の中で特筆すべきことは、イエス様が十字架で死んで、三日目によみがえられたという事実です。イエス様が死んでよみがえられた事実は、死が永遠のいのちにのまれてしまったことを証明しています。
 イエス様を信じる信仰の強さは、絶望に立ち向かうときに発揮されるのです。私たちの人生の中で、死にたくなるような悩みも決してないわけではありません。イエス様を信じる信仰は、死の恐怖や絶望から救い出してくれるものです。
 イエス様を信じるとき、死や絶望からのよみがえりの力が与えられて、人生の勝利者になるのです。
 神様の祝福がありますように。



 2020.3  あなたを心配する方がおられる
 イエスの御名によって、ご挨拶いたします。
 聖書の中に、
「御霊(みたま)ご自身が、いいようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」(ローマ人への手紙8:26)という 、みことばがあります。
 今、新型コロナウィルスがまん延していますが、本気で私たちのことを心配してくださる方がおられます。ひとが私たちのために心配してくれていても、そのひとがいつも一緒にいてくれるわけではありません。
 信仰は、人が神を信じるというだけでなく、神からの働きかけを期待することができるのです。それは、人と神との交わりの中で信頼関係が生まれてくるからです。
 信仰をもつと、不思議なことが人生の中に起こります。神は、神の栄光になるのであれば、病のいやし、人間関係、事業の発展、人生の問題、の上に働かれて助けてくださるのです。
 この神の力を受けるとき、信仰の素晴らしさを知ることでしょう。
 平安がありますように。アーメン



  2020.1 新年明けましておめでとうございます
 新しい年、新しいことが起こるために、古いものを捨てることが必要だと思います。もし、古いものが心に満ちていると、新しいことが起こる余地がありません。古いものとは、怒り、憎しみ、後悔、許さないこと、思い煩いなどです。
 これがあると、毎日の生活の中で、新しい喜び、平和、アイディア、意欲などがわいてくるのを妨げるのです。そのために心の中をすっきりとさせましょう。
 今年、愛によって働く信仰によって、新しいことが起こることでしょう。愛する兄姉に祝福がありますように。



 2019.5 わたしを信じる者は、死んでも生きるのです
  人生には、素晴らしいものがたくさんありますが、その中で、持ち物を全部売り払ってでも手に入れたいものがあると聖書は言っています。それは、魂の救いです。
 人々がお金、教育、名誉…とやっきになっているのは、将来のためになると信じているからです。しかし、それらのものが魂の平安につながるという保証はありません。
 この魂の救いは、イエス様との出会いによってのみ可能となるのです。もし、自分の魂の救いという必要を認めない人がいるとすれば、それは不幸な人です。
 私たちは、自分の死後も魂が生き続けることは知っています。日々の生活の中で手にするものが、死後の魂の平安につながらないとすれば、不安になるのは当然のことです。
 死は、いつ訪れるかわかりません。魂の救いだけは、手に入れておくべきではないでしょうか。


 2019.4  祝 復活

「御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)
 イエス様は歴史上の人物です。古代においてキリスト教の反対者さえも、イエス様が歴史上の人物であることを疑ってはいませんでした。疑われるようになったのは、18世紀末から20世紀初頭にかけてのことであり、極めて不十分な根拠によってでした。
 イエス様は死後も生きている証しをもっておられます。イエス様は歴史上の人物で、十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられたのです。
 イエス様は今も生きておられ、あなたも私もイエス様を信じるなら、永遠のいのちを得ることができるのです。なんというプレゼントでしょうか。



 2019.1 新年明けましておめでとうございます
 2019年も ”主の良くしてくださったことを何一つ忘れず”(詩編103:2) に語っていきたいものです。私たちが語っていくとき、同じことが起きていきます。救いを語ると救いが、癒しを語ると癒しが、解放を語ると解放が起こります。
 「イエスのあかしは預言の霊です。」(ヨハネの黙示録19:10)
 今年私たちは、証しを分かち合い、主と共に歩む生活をし、奇跡を見ていこうではありませんか。全能なる神様の祝福をお祈りいたします。



 2018.4 
祝 復活
 
「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』」(ヨハネの手紙11:25~26)
  ここでイエス様は、ご自身に従う者たちに2つの約束をしておられます。
 ⑴イエス様を信じて死んだ者は、もう一度生きるようになるのです。イエス様がその人のよみがえりとなっておられるからです。
 ⑵イエス様を生きていて信じる者は、決して死ぬことがないのです。イエス様がその人のいのちとなってくださるからです。
 イエス様は死んだ者のよみがえりであられ、生きる者のいのちなのです。



 2018.1 明けましておめでとうございます 
主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」(民数記6:24~26)
 2018年もあなたに救いがある。平和がある。健康がある。繁栄がある。喜びがある。愛がある。……。一年となりますように、心からお祈り申し上げます。



 2017.4  復 活
 イエス様が十字架上で死なれたのは金曜日で、日曜日に驚くべきことが起こりました。イエス様がよみがえり、人々の前にその姿を現されたのです。
 十字架にかけられ、三日目に復活なさったイエス様が行おうとめざしておられたことは、私たちの罪(原罪とそこから派生してくる罪)をあがなうことでした。別の言い方をすると、私たちが「義とされる」ことです。「義」とは聖書独特のことばで、神と私たちの関係が正しくなったことを表します。罪がなくなったために、神と私たちの関係が正常化されました。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖い(あがない)のゆえに、価なしに義と認められるのです」(ローマ人への手紙3:23~24)


 2017.1  
新しい変化
 新しい年が来て、私たちは何か変化することを期待します。しかし、カレンダーが変わっただけのことです。転職しても、結婚しても、環境が変わっただけではないでしょうか。
 変化は心の問題なのです。心が新しくならなければ、周囲にも変化は期待できません。昔の人々は、新年を迎えるのに様々な行事を行って心の変化を求めたのでしょう。しかし、その行為は感覚的な刺激となっても、根本的な変化にはつながらなかったのではないでしょうか。
 イエス・キリストは「新しく生まれなければ」(ヨハネの福音書3:3)と言われました。これは、心構えのことを言われたのです。古い考えや古い習慣を捨て、新しい考えや新しい習慣をつくるために、繰り返し自分の心に新しい決心をする必要があります。そのために、まことの神様を信じることは、ひとつの方法なのです。

 2016.12  クリスマスの奇蹟
 12月になると、ショッピングモールやマーケット等では、クリスマス音楽が流れてきます。社会の中で、私たちは色々な問題を抱えています。子どもの教育のことから老後の問題まで、解決できない悩みが山積しているのです。
 しかし、人間にとって難問であっても、神にとって不可能なことはひとつもありません。イエス・キリストのご誕生をお祝いするクリスマスは、その解決の道を示しているのです。私たちの心の罪の赦しのために、イエス・キリストは十字架に死なれました。そこには神の愛が現れているのです。
 私たちの問題の解決にも、やはり愛以外の方法はないのです。神を信じることは神の愛を引き出す方法であり、神は人に、ご自身の愛を示すことを望んでおられることを知ると、神にとって不可能なことはない、すなわち、奇蹟的なことが起こっても不思議ではないのです。



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