私たちクリスチャンは聖書を信じていますし、聖書の権威を認め、聖書に従うという信仰を持っています。その聖書に「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません」(ヤコブの手紙1:22)と記されています。
イースターは、イエス様が十字架上で死んで、三日目によみがえられたことを記念するものです。弟子たちは、よみがえりのことをイエス様から何度も聞いていましたが信じられず、よみがえられたイエス様に最初に出会った婦人たちから聞いたときも信じることができませんでした。しかし、疑い、信じない弟子たちの前に、イエス様がよみがえりの姿を現されたとき、弟子たちは信じることができるようになりました。
今年のみことばは「義人は信仰によって生きる」(ローマ人への手紙1:17)です。これはイスラエルにカルデヤ人が侵略してきたとき、国家的危機の中にあって預言者ハバククが語った言葉で「主に拠り頼む者は勝利を得る」ことができるというメッセージでした。
健全な信仰とは、愛がどれだけ他の人に向けられているかどうかです。愛の心は、他の人に対して関心を持つことから始まります。愛は、命令されて実践するものではありません。まず心が変えられ、愛の心が与えられることから始まります。(ローマ人への手紙8:6)
私たちには、御霊の思いがあるのです。ですから私たちは、神様との交わりにあずかっている者として、祈りを大事にしています。私たちは、祈りを通して成長するのです。祈りを通して、神様と交わり、神様のみこころに従えるわけです。聖い神様との交わりの中で、聖くしていただけることは、大きな特権です。
「神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである」 (ヨハネの黙示録21:3-4)(コリント人への手紙第二5:4)
主イエスの復活は、福音の中心的な真理です。復活がなければ、私たちには何の希望もなく、父なる神を信じる信仰もキリストについてする証しも無意味です。(コリント人への手紙第二5:4)![]()
イエス様の信仰の中で特筆すべきことは、イエス様が十字架で死んで、三日目によみがえられたという事実です。イエス様が死んでよみがえられた事実は、死が永遠のいのちにのまれてしまったことを証明しています。「御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)
イエス様は歴史上の人物です。古代においてキリスト教の反対者さえも、イエス様が歴史上の人物であることを疑ってはいませんでした。疑われるようになったのは、18世紀末から20世紀初頭にかけてのことであり、極めて不十分な根拠によってでした。
イエス様は死後も生きている証しをもっておられます。イエス様は歴史上の人物で、十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられたのです。
イエス様は今も生きておられ、あなたも私もイエス様を信じるなら、永遠のいのちを得ることができるのです。なんというプレゼントでしょうか。
ここでイエス様は、ご自身に従う者たちに2つの約束をしておられます。
変化は心の問題なのです。心が新しくならなければ、周囲にも変化は期待できません。昔の人々は、新年を迎えるのに様々な行事を行って心の変化を求めたのでしょう。しかし、その行為は感覚的な刺激となっても、根本的な変化にはつながらなかったのではないでしょうか。
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